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3.11の裁判所

10年前の話になりますが、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。

その時に、裁判所がどうなったかをお話しします。

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裁判はどうしたの?

私はその当時、普通に仕事をしていました。地震が起こったときは、「ついに関東大震災が来たか」と思いました。

上の階は揺れが激しくて、コピー機が左右に移動するわロッカーの記録が飛び出るわ。裁判員の部屋では、大きなモニターが動かないように押さえていたらしいです。

シャンデリアがある部屋は、照明部分が割れていました。

平日なのでもちろん法廷もやっていましたが、期日がすべて追って指定になりました。「追って指定」というのは、「 新しい開廷日は後日連絡します。」という意味です。

通常、裁判を終えるときは次回法廷を開く日を決めるのですが、それを決めませんでした。緊急事態ですから、はやく法廷を閉廷しなければなりませんでした。

また、裁判員裁判をやっている部署もありました。

聞いた話によると、裁判員さんも帰れずに裁判所内で一泊したそうです。でも、もちろんベッドなんてないので、椅子の上やソファの上で寝たと聞いています。

刑事部門では、勾留質問(被疑者を勾留するかどうか判断する手続き)は、止めずにやったようです。勾留するかどうかは、勾留請求があってから24時間以内に決めないといけませんからね。もし手続きをしないとなると、被疑者を釈放しないといけません。

ですから、この手続きは止めるわけにはいかなかったんですね。

仕事が終わったあとは?

仕事が終わったあとは、帰ろうとする人が結構いました。今は帰らないようにと言われていますが、当時はそういうお達しもありませんでした。

レンタカーを借りて帰る人や、歩いて帰る人もいました。レンタカーはすごいなと思いました。

私は、歩いて帰れる距離ではなかったので帰れませんでした。こういう時は、職場から家が近い人はいいなと思います。

私がいた部署は歩いて帰れる人が多い部屋だったので、結果、部屋に私ひとりという事態に(´;ω;`)

なので、ほかに人がたくさんいる部署に行きました。普段仲良くしておいてよかったなぁと思ったものです。そこで、誰かが買ってきてくれたフルーツとお菓子を食べてました。裁判所も防災備蓄持ってるんですけど、それを配っていたかが覚えていないんですよね。

裁判所にはテレビがないので、ラジオを聞いていました。そこで、一部の電車が動いたとの報道があり、帰る人もいましたが、私は、絶対混んでいるだろうし、夜だから危ないと思ったので帰りませんでした。

裁判所が寝る場所を用意してくれたのですが、寝た場所は会議室の床。一応絨毯が敷いてある部屋でしたが、床が固いのなんの。暖房は確か入っていたので寒さは大丈夫でしたが、床が…。

こういう時、宿直の人は宿直室のベッドで寝られるからいいなぁと思いました。宿直のための着替えとか持ってきてるだろうし…。

翌日、無事に家に帰りました。JRがシャッター閉めていたのにはさすがに(-_-メ)ピキピキ

月曜日は、来れる人は来てくださいという感じでした。電車も動いているし、普段と違うルートになるけど出勤できそうだったので出勤したのですが、振り替え輸送してなかったので自腹で行きました。振り替え輸送してほしかったなー

流通がストップしていたのでコンビニに何も置いてませんでしたね。お昼難民になりました。

さいごに

今回は、急がなければいけない手続きを進めることができていますが、もしそれができないとなったときにどうするのか気になります。

福島地検と仙台地検は、震災が起きたときに管内で勾留中の被疑者を、震災への対応を理由に釈放したそうですが、その中に強制わいせつの被疑者や住所不定者等が含まれていたことから、治安上問題があると批判されたそうです。

手続きが進められないとなると、法律上、やはり検察庁は釈放するしかないんでしょう。

今のところ、どうするかというお達しは来ていません。

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